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何れの時代においても、人は幸福を追求してきたことだろう。
「如何にして幸せになるか」、「どうすれば幸せになることが出来るか」、形や考え方は様々であるとしても、幸福というものを欲し、求めてきたことは確かだろう。
科学の進歩もまた、人が幸福を求める際の手段の追求の結果と言えよう。
かつて地球上で栄えた錬金術(科学の世界ではこの時代を暗黒期とするらしいが)にしても、その根底にあったものは、富であり、すなわちそれは、幸福の追求だったはずである。
我々の生まれる以前からの歴史を見ても、確かに、科学は人を幸福にしようとしてきた。
科学もまた、「こうしたい」、「こうであればよいのに」といった人間の果てしない、些細な欲求に見事に答えてきたと言っても良いだろう。
しかし、常に振り返る。 農薬の導入によりある程度約束された収穫を得ることは出来たが、それはあくまで、人間の都合によって善し悪しに分けられた事項の産物に過ぎない身勝手なものである。
また、その一方で、人間の身体にもあまり歓迎できない影響をもたらすことにもなった。科学の産物は、望まれた以上の効果を示す反面、好ましくない現実を引き起こす場合が多々あるだろう。
幸福を追求したはずの科学者にしてみれば、まさか自分の作ったものが、大量虐殺の手段として利用されようとは、誰が思っただろう。
しかし、現実に、科学の生み出した物の中には、多くの命を奪ってきた物もある。
科学が人類の幸福を目標と掲げているとしても、実際に、それとは相反する結果を生むこともある。
皮肉な事に、軍事開発として開発される事象の方が、目覚ましいという事実もある。 それでも人は幸福を求めるだろうし、少しでも、自分の思い描いている事に近付こうとするだろう。
科学者たちは、何時何時(いつなんどき)自分の手がけてきた物が人を不幸にするかもしれないというジレンマを抱えながらも、日々、科学を進歩させるのだろう。
そして人は、科学の発展を望むのだ。
科学が幸福を導く事も一つの事実である。 しかし、その事実に縋り付いていてはいけない。 それはあくまで、科学の一面に過ぎないからだ。
科学の発展の根底にあるのが人類の幸福であるなら、我々は、その発展が引き起こす現実とも向き合う必要がある。
立ち止まる事、振り返る事、そして、原点に還る事こそ、科学の発展に必要な事なのかもしれない。
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