八日目の蝉

例に漏れず、テレビ放映で見ました。

宣伝が巧かったのか、なかなかに「見たい」と思わせる作品でした。

法廷で裁かれることだけが、罪だとは、私は、言えないのではないかと思うのです。

体面のために、お腹の子を死に追いやったことは、罪ではないと言うのでしょうか。
頭がおかしくなるくらいの、電話攻撃は?
そもそも、妻を裏切っていたその行為自体が。

冒頭の、法廷シーンでは、「これぞ、復讐」とも言えるのだと感じました。
お腹を傷めて産んだ子供が、自分が脅迫した女を母と言う。
すごい、復讐だと。

母親の立場に立てば、それ以外が悪く、彼女の立場に立てば、それ以外が悪く。
なんて、虚しくて、これこそ、愚かしいことだと言うのでしょうか。

子への愛情が、全て真実で。
愛されていたことに、偽りはなくて。
愛していたことがすべてで。

愛していたことは、愛されていたことは、救いなのかもしれない。

それでも、「家族」だと言えることは、救いなのかもしれない。

異性と共に生きられなくても、ひとつの家族を築くことはできるのだろうし、形なんて、それぞれで、良いのだと、私は思うから。

生まれてくる子は、きっと、綺麗な物をたくさん見て、たくさんの愛情を注がれて、そんな風に、思わずにはいられなかった。

ただ一人、一日長く生きた蝉の真実なんて、最期に、どう思ったかが、全てなのだ。
自分の人生を、不幸にするも、幸福に終わるも、最期の判定が全てなのだろうと、わたしは思う。




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