はみごのぼやき
チェンジリング

今回は、DVDを借りました。
そして、私のアクアちゃん(PS2)で見ました。

あらすじは、ここでは置いておきましょう。

終始胸にあるのは、「母の思い」とか「母は強し」という言葉だったように思います。

警察への不審や不信を煽る、いや、警察を叩くため利用される感もありましたが、互いに利用すると思えば、まだ良いかとも思いました。
少なくとも、相手は、慈善家を名乗っているようでしたし、たとえ全てを信じてもらっていなくとも、警察の不手際などについては、便乗して、追求できるのではないかとも思いました。
実際は、結構、味方になってくれていたと思います。
たとえ、利用目的であったとしても。

初動捜査のミス。

たしかに、毎日、そんなことが続けば、そしてそのほとんどが事件性はなく、些細なことだと思えば、あんな風に思う気持ちもあったでしょう。
けれど、万一の可能性は、否めないと思うのです。
やらなければならないこと、相談事、失せ物探しなど、多岐にわたって、要求もされるでしょう。
それでもそれらが持ち込まれるのは、やはり、「警察」という機関が、そういう存在であるからではないでしょうか。
人数にも限りがあるでしょう。
他にも事件は起こるかもしれません。
子どもが、うっかり帰宅時間を過ぎたからといって、事件に繋がる確率は、非常に低いのかもしれません。
それでも、「万に一つ」の可能性があるのなら、少しでも動くべきだと思うのです。
それが、彼らに求められている、いえ、彼らのお役目だと思うからです。

さて、何故、警察は、子どもを間違えたのでしょうか。
思いこみがあったのでしょうか。
「君は、○○君だね」というような聞き方をしたのでしょうか。
それはまるで、誘導尋問のように、ほしい答を導き出してしまったのかもしれません。
そして何故、母親の最初の言葉を、「おかしい」と思わなかったのでしょうか。
いいえ、「おかしい」の感じ方が違ったのですね。
「『母親の頭が』おかしい」ととらえてしまったのでしょうか。
それもまた、「何故」でしょう。
「自分が、自分たちが、正しい」と思い込んだのでしょうか。
そして、他にも、確認する手だてはなかったのでしょうか。
そもそも、マスコミを前にするよりも、事前確認を取らなかったのは、何故なのでしょう。
正しいと信じて疑わなかったからでしょうか。

ミスは立て続けに起こることもあります。

だからこその、注意。
素直に謝れば、何のことはないということも、結構あると思うのです。
許されないのは、そこに、悪意があるからだとは、考えられないでしょうか。

そして、意外と言えば意外な、けれど、至極簡単に導き出される可能性だと言えば、そうとも言える展開。

殺人犯の彼もまた、「何故」と疑問を多く感じさせる存在でした。

そして、消えてしまった少年の真実は、どうだったのでしょう。
私は、彼は、逃げおおせたのではないかと、思いました。
そうです。少なくとも、あの農場の跡地のような場所で、あの殺人鬼の手にかかったのではないと思うのです。
惨事と罪を告白した少年の言葉が、引っ掛かっていました。
「何人か(二、三人だったかもしれません)は、逃げた」と。
そう、逃げられた子どもがいたのです。
五年後に名乗りを上げた少年のように、誰かに引き取られていたのかもしれませんし、一人で、何とか生きていたのかもしれません。
詳しいことは分かりませんが、私は、彼は、あの時点では、生きながらえたのではないかと思うのです。

けれど、なにがしかの理由で、名乗り出られなかったのではないでしょうか。
もしかすると、五年後に出てきた少年のように、怖かったのかもしれません。
三十年、四十年後には、名乗り出られたかもしれません。


では、何故か。

おそらく、彼は、戦争で命を落としたのではないかと、私は思うのです。
名乗ることもできぬままに。
何故か、そう思えて仕方ありませんでした。

戦争がなければ、彼は、数年、数十年後に、母のもとへ、帰ったかもしれないと、少なくとも、母に名乗り出られたのではないかと、思うのです。




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