今回もお決まりの某テレビ局某枠で放映してくださったのを、ありがたく見させて頂きました。 主人公の少年…、いえ、主人公は、ゲドさんなんでしたっけ? 誰しも、何某【なにがし】かの暗い部分は抱えているものかもしれません。 彼は、己【おの】が闇に呑まれ、自身の光さえ、置いてきてしまったのでしょうか。 彼が苦しんでいることが分かっても、何に苦しんでいるのかは、結局分からなかったように思います。 人、生き物の、生き物としての営み。 テルーの言葉を、私は、誰もに聞いてほしいと思います。 人には、人それぞれの歩んできた道と、歴がある。 クモはまた、人の欲望の象徴的な存在でもあったのでしょうか。 人は、生まれた以上、死なねばなりません。 永遠に憧れますが、その永遠もまた、恐ろしいと感じます。 人は、もしかすると、先人の方々の言うとおり、「死」を意識して初めて、もしくは、最も、「生」を感じるのかもしれません。 それならば、クモは、老いて、己の終焉が近付いていることを知り、いえ、それを意識し、「生」に執着した結果の姿だったのかもしれません。 哀れだ、自業自得だと思う中にも、これが人なのだと、これも、人の一面なのだと、クモを見て、思うのです。 しかし、ゲドも人で、あの女性(名前忘れた)も人で、みんなみんな人なのですね。 国へ帰った少年を待つものは、何なのでしょうか。 彼は、自身の光と、再び、共に歩むことが出来るのでしょうか。 彼の光は、自身を見つけられたのでしょうか。 あの世界は、これからどう進むのでしょうか。 魔法が消えていくその理由は、世界の変化の理由は、答を見つけることは、できるのでしょうか。 印象としては、割と、全体を通して、淡々と進む作品だったと思います。 知って、悟って、投げ出したり、呆れたりするだけでは、きっと、私たちは足りないのでしょう。 知って、悟って、受け入れて、歩き出すことができたら、生き物として、全うすることができたら、きっと、私たちは、何よりも、己【おのれ】を全うできるのではないでしょうか。 |