テレビ放映、しかも、途中から見てしまいました。
主人公の男の子は、いわゆる人造ロボットなのでしょうか。
私が、彼を作った研究チームの人間だったり、ロボット工学の人間なら、感心したでしょう。 「心」のできあがるプロセスは、解明されていると思いません。 彼は、その「心」を得ていたと言えるのではないでしょうか。
非常に「人間らしい」と言えるのでしょう。 母親の愛情を求める所などは。
私は、いつも思うのですが、人は、「優れた物」を求め、生み出そうとするように思います。 それなのに、いざ、自分たちを越える力を持つと感じたら、難癖付けて、怖がりますよね。 ある程度、想像できることなら、しなければよいと思いませんか。 更に言うなら、与えずとも、芽生える可能性のある「心」についても同じです。 命令する立場にあるというのなら、彼らの行動の善悪は、その先にいる人間によるもののはずです。
作られたものに、罪などありましょうか。 彼らは、誰かの手によって、ここに存在させられているのですから。 無惨に彼らを否定し、彼らの営みを打ち砕くことが、正義だとは、私は思えません。
「物は言い様」でしょうが、人間の子どもに似せたロボットに、むごい仕打ちができる方が、恐ろしい気もします。
自分が確かに存在したこと、私たち人間だって、願うことだと思うのです。
望んだ誰かがいたから、存在するもの。 きっと、私たちだって、変わらないのでしょう。
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