はみごのぼやき
ピーターパン 2

副題は Return to Neverland 。

私は勝手に「ネバーランドへ再び」と呼んでいる。

劇場で、勿論日本語吹き替え版なのだが、ピーターパンを見たのはいつだったろうか。

ピーターパン2は、上映前から放映していたテレビCMで存在を知った。
当初はあまり興味を持たなかった。 宣伝の内容から、主人公であるウェンディの娘は、所謂、現代の「かつてのような夢」を抱くことのない少女なのだと思っていたからだ。 「夢の国」の住人は「夢」を語ることのない世の中では存在できないとか、「夢」を持たない者には見ることができない、とか、 この手の設定はよくあるし、事実でもあるからだ。

しかし、この作品、現代云々というのではなく、戦時中もしくは戦時下で夢を失った子どもが主人公だというのだ。
この話を聞いて、この作品を見たいと思った。

既に戦地へ召集され、赴いていった父は、彼女に言った。
『お母さんと弟を守ってくれ』と。
彼女はその約束を守る。
ピーターパンの話をする母と弟に『ピーターパンはいない』、『夢を見ている場合じゃない』と彼女は言う。 いや、そう言って泣くのだ。

“右から二番目の星”が輝いても、戦争の最中、戦闘機が頭上を飛び交い、弾が空を汚し地に降り注ぐ。 いくつもの命が失われて、夢を奪われる人たち。そんな中で、どうして“右から二番目の星”の輝きを知ることができるだろう。

主人公一人を責めてはいけない。

ティンクが光を失ったのは、彼女の責ではない。何故なら、彼女は、ネバーランドへ行く術を有していたのだから。

嘆くべきは、彼女からティンクを信じることを奪ったものがあるということではないだろうか。

彼女に、「ピーターパンなんていない!」と叫ばせたことだ。

ネバーランドにやってきた少女に、そう叫ばせてしまったことを悲しく思う。 戦争が大人の責任だというなら、やはり私は恥ずかしく思う。

ラストは見えていたが、それでも良かった。更に言うなら、ピーターパンがED前にとった行動が、嬉しかった。



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